新 武蔵野人文資源研究所日報

旧武蔵野人文資源研究所日報・同annex移行統合版

時季至りて「聞きましたよアレ例の怪談話教えて下さいよ」と若い者がうるさく特別再録
※全て純正実話にて創作含まず

……10年以上前になるかと思うが、私は営業部に在籍しており、注文を取ったりクレームに対応したり、それなりに忙しい日々を送っていた。


ある日、編集部から、ひとつヨロシクとのいいかげんなコメントと共に一冊の自費出版本の企画を示され、販促を依頼されたのだが、その概要を見て、私はなんともどんよりと、暗い気持ちになったのである。


よんどころない事情で、どうしようもない企画が通ってしまうことが、ままあるものだ。
ある種事故のようなもので、ボツ企画も多いくせに、そのようなリスクは小出版社の場合、意外と日常的なものである。いいかげんな業界である。
それはそれとして、どこをどう切ってもこの場合救いようのない書物になりそうで、今回は自費出版という一点で全てを言い訳するしかないように思われた。


スレてしまった当方は勝手な算段をするわけだが、著者にしてみれば思いの丈をぶつけた最初で最後の渾身の作らしく、次第に健康を害しながらも、必死の思いで校正を進めていたようである。
しかしながら療養虚しく、書籍の完成直前、著作の行方を案じつつも、とうとう幽冥界の人となってしまったのだった。


編集から著者の死去を知らされた時、悼みつつも、心の片隅では少し負担が軽くなったのを感じていた。ありがちなことだが、著者にとっては大事な大事な著作が、その著者の立ち寄る書店などに置かれていない場合、編集担当は著者から「どうして置いてないのですか」とねじ込まれ、ねじ込まれた編集からは「なんとかしてやってくれ」と営業に泣きが入るのである。またも小出版社にありがちなパターンだが、少なくとも今回は、自費出版でもあり、今後一切余分な手をかけなくてもいいだろうと安堵したのである。まあ、有り体に言って、放っておけばよい。


「一応銀座が主な舞台になってるからさあ、銀座ぐらいは置いてもらっといてよ」としばらくして編集部長に言い渡されたのは、おそらく前述のような私の心中などとうに見透かされていたからだろう。仕方がない。私は営業のY君に、銀座のK藤書店とK文館書店に寄る折があれば、その時についででいいから一応話題に上らせるように言い置き、そのまま言ったことすら忘れてしまった。


数日後、Y君が外回りから帰ってきたが、妙に白茶けた表情のまま、自分の机に向かって座りこんでいる。いつもすぐに報告に来るはずなのだが、座りこんだままずっと思案顔である。私も変だとは思ったが、黙っていた。


数十分の後、意を決したように彼は立ち上がり、ゆっくりと足を引きずるようにして、私の机の横に立った。


彼の話のあらましは、以下のようなものである。


上野、日本橋の書店回りを済ませ、八重洲ブックセンターに立ち寄り、あとは銀座で今日は上がりだなと思ってK文館に行きました。幸い担当者がいたので、シリーズ物の定期予約を取り、補充を確認して、あとは業界関連の雑談、そのまま辞去しようとして例の企画のことを思い出し、すいません、まあこんなものなんですけどねえ、とチラシを出したんです。


すると、その担当者が、



ああ、これね。
さっき著者が、直接売り込みに来たよ。





バッカヤロー、と、私は笑おうと思ったが、何者かに押さえつけられたかのように言葉を発することが出来なかった。Y君も沈痛な表情になっている。私は机の上の消しゴムを弄びながら、さりげなく「それで?」と問いかけたが、妙な声色になった。


ええ、いくらなんでも著者は亡くなってるなんて言えないんで、なんかの間違いでしょう、この企画をお知らせするの初めてだし、ホントにこの本ですか、似たような本の間違いじゃないですかって言ったんです。そしたら笑われて、おたくの版元名出されて、似た企画も何もないじゃない、って言うんです。それなんで、その人著者の知り合いかなんかじゃないんですかねえって言ったら、ちゃんと著者だって名乗ったって言うんですよ。なんかかんか言って誤魔化して、帰って来ちゃいました。K藤書店? すみません行ってません……ていうか、行けませんでした……



私がその後どういう処置をとったか、その企画がどうなったか、全く不思議なことに、一切記憶に無い。ただY君が帰社した際の白茶けた顔と、ゆっくり近づく彼の、強い西日を背後に受けた黒々としたシルエットが妙にリアルな記憶として残っているだけである。


Y君も数年して会社を辞め、私も営業を離れて久しい。当然ながらK文館書店は銀座に今でもあり、前を通ることもあるが、微かな後ろめたさがそうさせるのか、あれから一度も足を踏み入れたことはない。